日本史集中講義#2(3章) 読書メモ

著者:井沢元彦
内容説明

結果が原因を生み、それがまた結果を生む。歴史は点と点の繋がりで見なければならない―
教科書では、本当の歴史はわからない。井沢史観のエッセンスを凝縮!聖徳太子から第2次世界大戦まで、1冊で、日本史が一気にわかる。

目次

序章 なぜ教科書では歴史がわからないのか
1章 古代―憲法十七条と日本人
2章 中世―朝幕並存の謎を解く

3章 近世―信長・秀吉・家康は日本をどう変えたのか
4章 近代―世界の中に取り込まれた日本
5章 現代―なぜ真実が見えなくなるのか
終章 歴史から何を学ぶか

■まとめ
・楽市楽座と刀狩の本当の意味
幕府の統治力の低下に伴い、治安が悪化したことによって、宗教団体が武器を持って力を蓄えはじめた。
そして、その力を維持するために、油売りをふくめて様々な物価を支配するようになって庶民を苦しめた。
その庶民の苦しむ状況を、織田信長は坊兵の武装解除をさせて、政教分離を目指し、楽市楽座のような自由な市場を作り出して解決しようとした。

・秀吉の朝鮮出兵、その本当の理由
信長時代に兵士の育成をするという連綿と続く意識から専門、専任兵士が多かったことから、その不要になった兵力を国外に振り向けて
新しい仕事を割り当てさせようとしたこと(そうしたことで配下の大名を統制しようとしたといた!?)新しい仕事とは、国内を統一した時点では他国に戦争を仕掛けること以外にない。
その延長戦上には、明の征服をイメージとして持っていたと思われ、将来的には、高価な明の特産品の交易などで莫大な富を得ることも狙っていたのかもしれない。

――本文からの抜き出しと自分のコメント――

3章 近世―信長・秀吉・家康は日本をどう変えたのか
3章-1 楽市楽座と刀狩の本当の意味

・室町時代と江戸幕府は基本的な構造が似ている。が、室町幕府の足利将軍家が諸大名の統制に失敗している
→室町幕府の守護大名たちは、かつて同僚だった足利氏がしょうぐんになったので、仕方なく臣従しているが、本来なら同格だという意識が強かった。
→そうしたこで、将軍のいうことを聞かなくなる事態、つまり将軍家の後継者争いに有力大名がわかれて争ってしまう応仁の乱のようなことが起きてしまう。
⇒鎌倉幕府における大名は、直属の御家人だったため、そういう格の問題は生じづらかった。

・宗教勢力の武装化
室町幕府の統制力が弱まったと同時に、世の中は乱世になり、治安が乱れてくる。その中で寺社は様々な利権を持っていたため自らを守る必要があった。
→財産を狙って、強盗の類が寺社を襲うようになっていた。

・宗教勢力が武器を持っていたというのは、現代人にはなかなか実感しにくいこと
→武装しているというのは、幕府にとってみたらいうことの聞かない圧力団体になっていくということでもある。
・お寺の建立や維持には、様々な技術が必要だったから。昔は、油は貴重な資源で、明かりを灯すことができるようになったおかげで
夜の遊びができる(夜の読書や遊郭)
・そうして力をつけた当時の寺社は、影の経団連のような存在
→関所は作られ放題、寺:ライセンス料と悪徳商人がつるんで商品価格(特に油)を上げ放題

このような状態を、庶民が苦しむ状況を打破しようしたのが、織田信長が実施した楽市楽座
許認可権を無視し、寺社に一銭も払わなくてもよい仕組み。特権商人のカルテルも無視、このようなことをやるには、武力の裏付けが必要
→寺社勢力を基盤とした特権階級の利権を撤廃するためのもの
また、信長は、関所を通過する際に払う関銭の徴収も廃止した。そうした施策は庶民から人気を博した。

・寺社勢力との対決
宗教団体が武器を持って政治に関与することはおかしい、武器を捨てればすべて許すという態度をとっていた。
信長が目指したのは、政教分離、坊兵の武装解除。
武器をすてろという以上、なにかあった時は信長の保護下に組み入れる。本来の天下布武とはそういう意味。

⇒そうした信長や秀吉の影響により、
戦国時代を彩る「安土・桃山文化」は、これまでの室町時代や鎌倉時代、
平安時代と比較して宗教色が薄まった

■当時の仏教の宗派別整理
信長vs本願寺(浄土真宗):宗教政策をめぐる闘争
信長vs比叡山延暦寺(天台宗)との対立:利権をめぐる争い

宗派名 日蓮宗(法華経) 浄土真宗 天台宗 真言宗
総本山
(当時)
京の街中
石山本願寺 比叡山延暦寺 高野山金剛峰寺
開祖 日蓮 親鸞 最澄 空海(弘法大師)
特徴 「南無妙法蓮華経」を唱える「法華経」の重要性を説いて開宗。のちに権力者である北条時頼に対して、浄土宗を邪法と論じて法華経を国の柱にすえる「立正安国論」を進言 一向宗」は、浄土真宗本願寺派を指しますが、これは周囲が使用していた名称であり、正式には「浄土真宗」
(念仏宗)
阿弥陀如来を最重要視
この天台宗で学び、独立していった人物には、法然、親鸞、日蓮の他、臨済宗の栄西、曹洞宗の道元など多数の偉人を輩出
密教
嵯峨天皇より和歌山の高野山に「金剛峯寺」を建立することを認められるが、工事がはかどらず、京都の東寺を下賜され、「真言宗」の本寺に定める
歴史 延暦寺は日蓮宗に対し、末寺として支配下に入るように要求し、拒否されると、六角定頼の力も借りて6万の軍勢を集めて、日蓮宗寺院を攻撃。京都の日蓮宗は多くの死者を出して壊滅し、京都を追い出される 信長の天敵だった石山本願寺(一向宗)
元亀元年(1570年)から信長との抗争がはじまり、各地で一向一揆を扇動し、大いに信長を苦しめる
「山法師」と呼ばれる僧兵の武力は有名で、時の権力者に強訴
延暦寺は朝廷権力から「不入の権」を認められており、武力と共に流通を支配して財力もあったため、独立国のような状態でした。奈良の興福寺と並び称され、「南都北嶺」と畏怖される
金剛峯寺は荒木村重の家臣らを匿い、探索に来た信長の使者を殺害。
信長の死で難を逃れた

・往生は行って生まれるという意味。極楽浄土に行って生まれ変わる
・巨大な勢力を誇った寺社から武力を奪い、政治に関わらせないようにすることは時代の改革には必要だった。
宗教を無力化することは、戦乱が続く戦国時代において、天下を統一するには避けては通れない道

・室町幕府は臨済宗を保護し、この時期から禅宗が大きな影響力を持ち始めるのですが、
秀吉はその大成者である千利休を切腹させている

参考ページ;宗教別まとめhttps://sengoku-his.com/158

3章-2 秀吉の朝鮮出兵、その本当の理由

・戦乱の世が終わると、兵士はどうなるのか問題。膨大な(戦いが専門の)兵士が失業する。解決するには、彼らの仕事をつくってあげるか、もしくは別の仕事を見つける以外にない。
(そもそも専任の兵士をつくらないというのもあるが・・・。)
・出兵の理由は、現状の考察では、「恩賞として家臣に与える土地が不足していたため」ともいわれているが、具体的な理由を示す当時の記録はまだ見つかっておらず、
現在でも諸説が挙げられ、議論が続いている
(一方で、「東アジア交易の独占支配」という目的があり、秀吉が提示した要件に、「日明貿易の再開」があった。彼の視野には、高価な明の特産品の交易で
莫大な富を得ることも狙っていたのかもしれない;貿易のうまみを先見の明にて把握していた人間は、主君の織田信長だという話もある)

■明を攻める目的について、学説の中でもいろいろと推測されている
1)秀吉の征服欲、名誉欲があったとする説
2)当時、明とは国交がなく、貿易もできなかったことから、明を服属させて貿易を行おうとしたという経済的な面から説明する説
3)国内の統一戦争が終わったため、不要になった兵力を国外に振り向けさせて大名を統制しようとしたという説
4)ヨーロッパ勢力が進出してきたことに対する反発という説

・秀吉時代に兵士の失業問題が生じた原因は、信長時代に兵士の育成をするという連綿と続く意識から専門、専任兵士が多かったこと。
その時代の前、たとえば武田信玄などは1割ほどしか専門の軍人がいなく、それ以外は農民兵。
つまり普段は百姓をしている人を戦時に足軽という兵士に仕立て、軍団を組織していた。
従って、川中島合戦などの当時の多くの戦争は、刈り入れが終わった後の農閑期に行われていた。ただ、農民兵を半分うしなったとすると、農業生産力が半減するのと一緒。
そういう問題をクリアーしながら、信長は、専門兵士の育成を行ってきた。
→兵士の仕事をつくるということは、他国に戦争を仕掛けるということ。
⇒アレキサンダー大王の遠征もそうした理由;乱世を平定した英雄が有り余る力を持て余して外にいくというのは、世界史の原則。

■朝鮮出兵

・最初は連戦連勝だったが、最終的に敗れた理由は、リサーチしないという日本人ならではの欠点が招いた結果。
日本の補給線を遮断したのは、李舜臣、日本と朝鮮半島の間の制海権を奪い、武器弾薬や食料を日本軍に届かないようにした。
・日本人は昔から補給という行為が苦手。
太平洋戦争のときも、戦死した人間より補給が絶たれて餓死した人間のほうが多い。ロジスティクスの弱さは日本人の民族的弱点。

3章-4生類憐みの令が出された本当の理由

悪名高い、生類憐みの令が出された本当の理由
武断主義から文治主義のような文化力や法律によって、世の中を抑えていく
というこれまでの常識を変えるには、世の中の意識を浸透させるために厳罰主義もやむを得ない事情もあるということ

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