読書メモ:日本史集中講義(4章)
黒船来航が持つ本当の意味とは

日本史集中講義 井沢元彦

内容説明
結果が原因を生み、それがまた結果を生む。歴史は点と点の繋がりで見なければならない―教科書では、本当の歴史はわからない。井沢史観のエッセンスを凝縮!聖徳太子から第2次世界大戦まで、1冊で、日本史が一気にわかる。

目次

序章 なぜ教科書では歴史がわからないのか
1章 古代―憲法十七条と日本人
2章 中世―朝幕並存の謎を解く
3章 近世―信長・秀吉・家康は日本をどう変えたのか
4章 近代―世界の中に取り込まれた日本
5章 現代―なぜ真実が見えなくなるのか
終章 歴史から何を学ぶか

4章 近代―世界の中に取り込まれた日本

■まとめ
黒船の登場が、この安全な国という意識を変えてしまった。海に囲まれているからゆえにどこからでも上陸できるようになったため一番危険な国になってしまった。
そのようなことを黒船来航前に予見していた人々(オランダ含め)はいたが、幕府威厳のせいでその海防の強化などの対策はとられなかった。

・アメリカが開国を迫った理由は、(すくなくとも最初は)侵略意図はすくなく補給基地の提供をお願いしたいという柔らかいアプローチであり、幕府がそれを見過ごしたために、ペリーが強硬手段をとって開国をせまり、その後の不平等の条約につながっていった。

・開国にあたり、天皇の了承を得ずに、認めてしまったことにより、すでに朱子学の一部である勤王思想が広がった当時では、幕府への不満が急速に高まるきっかけとなってしまった。

テーマ1 黒船来航が持つ本当の意味

武士政権から天皇中心の政権が統括し、実質的には近代国家につながった出来事
(そういう意味では、朝廷政治→武家政権にかわった鎌倉幕府の成立と同等レベル)

■黒船来航前

外国からの侵略に対して、かなり安全な国だった。なぜなら日本は海で囲まれているから。世界中見渡しても、遊牧民族 vs 農耕民族という形で民族戦争が絶えず、普通は中国の万里の長城や城壁都市などが構築される。

海があるから、騎兵が攻めて来れなかった。→当時の船に馬を乗せることは一大事一度だけ攻めてきたことがあったのは元寇。それに勝てたのは、生粋のモンゴル軍だけではなく、中国の南宋や高麗の軍が混じっていたし、騎兵で攻めてくることはできなかったから。
→馬はデリケート、また一人1馬というわけにも行かない。
→迎え撃つ鎌倉武士は、基本的には騎兵だった。

■黒船来航後

黒船(蒸気機関でうごく;軍艦)の登場がこの安全な国という意識を変えてしまった。海に囲まれているからゆえにどこからでも上陸できるようになったため一番危険な国になってしまった。
・徳川の江戸防衛計画は、敵が攻め上がってくると知れば陸路のみ。

・西南戦争をおこしたときも、西郷隆盛は、本来的には熊本城を責めずとも、汽船をチャータして直接大阪に行けばよかったはず。それをしなかったのは、初めから勝つ気などはなく、討ち死にする予定だったからかもしれない。

・家康が導入した朱子学が、幕府の首をしめるという皮肉
王者として天皇を尊ぶ、その天皇から政治を委任されているということで将軍家を権威付けした。しかし、それが後に仇となる。
将軍家と天皇家がもし対立するようなことがあれば、天皇家のほうが偉いだからそちらに味方して将軍家をつぶせばいいということに考え方が変化した。これが勤皇思想。

・もうひとうの朱子学の概念「攘夷思想」

もともとは、中華思想と結びついたもので、中国文明こそが最高であり、それ以外は野蛮であるということ
周辺民族のことを北狄、西戎、南蛮、東夷といった蔑称で呼んでいた。
つまり、攘夷というのは、野蛮人が侵入してきたら追い払うということ。

江戸時代の初期、熊沢蕃山が言い出したことで、日本の天皇こそ、万世一系で正しい王者なのだから
日本こそ中国、つまり真の文明国である。

1853年黒船が浦賀に現われて、さんざん脅された幕府は、翌年に開国をしてしまうが、そのことについては天皇の許可を得ていなかった。

本来ならば、江戸時代の初期のように、天皇家から政治を委任されてやっている徳川幕府なので許可は必要ないのだが、家康がタネを蒔いた朱子学が浸透していたため、天皇の許可はとらないとは何ごとだ!ということになってしまった。
(また当時の孝明天皇はかなりの外国嫌いで、攘夷こそ正義だとおもっていたので、ますます攘夷論者には追い風になった)。

・黒船来航を予想していた人々

黒船来航より70年ほどまでに、林子平が海国兵談という本で訴えていた。
「江戸の日本橋より、唐やオランダまで境なしの水路なり」
海の上には万里の長城は作れない、いつでもせめて来れるのだから海防をしっかりしなくては!
(その後も、渡辺崋山や高野長英といった蘭学者たちも海防の重要性を説いた)

・アメリカが日本に開国を迫った理由

アメリカは今後、アジアに進出していくためには、地理的位置からもしてもヨーロッパの国々が使うインドルートを使うことは効率的ではなく、太平洋を横断して、日本を中間地点として補給をしてもらった上で進出していきたいと考えていた。

欧米列強にアジアを植民地化する野望があり、それをアメリカが同じく目論んでいたと思われがちだが、本来の目的は、日本に石炭燃料の補給基地を求めて、開国を要求することであり、欧米列強ということでひとくくりにするべきではない。

多くの日本人がしらないことだが、ペリーが来る前に、モリソン号という民間商船で、非公式に日本に打診をしにきている。最初は、アメリカは日本にお願いする立場で、相手に不快感をもたれないように下手にでていた。(侵略意図があると思われないように)

その際には、お土産として、日本人の漂流民を帰国させようとしていた。
ところが、日本は、漂流民の帰国を拒絶した上、モリソン号を砲撃して追い返してしまった。その行為に危機感をつのらせたのが、渡辺崋山や高野長英らであり、幕府に忠告するも弾圧されてしまう(蛮社の獄)

・一連の交渉からアメリカが学び取った教訓

民間商船で下手でアプローチしたら砲撃されてしまった。それでは危険なので次は派遣されたのは軍艦で
ピッドル提督が国書をもって浦賀沖まで来たのだが、お願いする立場なので
江戸湾の外にとどまった。公式のアプローチとしてはこれが最初。しかし、役人たちは黒船をみているのだが
問題を先送りにしてしまった。
その後、ペリーは前の教訓を活かし、強気にいきなり脅しつけたところ、江戸幕府はあっさり頭を下げてしまった。

もし、アメリカの外交史の教科書が作られたのなら
「日本人というのものは、下手にでたり丁寧に頼んでも埒があかない。脅すのが一番である」と書かれるのだと思う。

その教訓として、日本人に対するイメージを頭にもっているので、太平洋戦争時には、アメリカが強気に「中国の利権をすべて手放せ」ということを言ってきたともいえなくはない。

「日本人というものは、下手にでたり丁寧に頼んでも埒があかない。脅すのが一番である、、ただし脅しすぎると真珠湾攻撃のような気をつけろ」
というイメージに置き換わっているかもしれない。

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